ライブ配信視聴のお礼

昨日のライブ配信を見ていただいた多くの方々、誠にありがとうございました。 切れてしまったり、映像がカクカクだったり、かなり問題がありました。 初の試みですが、ボランティアメンバーの成田の電気工事業者エンジニア氏は、最初EOS1DX MarkIII+4Kライブ配信を試みたのですが、テスト日にうまく行かず、HDにしてやってみようということで配信しましたが、考えてみれば大放送局でさえ、中継車を出している(いた?)くらいなので、なかなかライブ配信は難しいようです。 Facebookライブ配信はこの間ヘリでやりましたが、EOS1DX MarkIIIでキレイな映像をお届けしたいというのがエンジニア氏の目標であり、Canonの方もボランティアでお越しいただいているので、策をねって次回やります。 ライブ配信中にテイクオフした007 配信終了片づけ中に離陸したAMX789 しかしいただいたコメントを見てエンジニア氏いわく、「飛行機に興味ある人って大人の対応ですね、これがふつうのYoutubeなら罵詈雑言だったかもしれないのに、皆さんあたたかいです」とのこと そういう面でも見てくれた皆様に感謝です。 あとは話題に出た機体の一部 やはり無人のさくらの山は悲しいので、OPENしたらお待ちしております。

リベンジします

ライブ配信ご覧いただきましてありがとうございました。 ボランティアスタッフでTRYしましたが、回線の問題などあり途中で切れたりしてしまいご迷惑をおかけしました。 ボランティアで来てくれた専門業者が原因究明したので、近々再TRYします。 YouTubeライブ配信って、やはりやってみないと分からないことってあるもんですね。 多くの温かいコメントありがとうございました。配信中に見られなくてすいません。

フィルムカメラGOODS

最初に今日のお知らせ、本日13時より成田市さくらの山公園(閉鎖中)よりライブ配信を行います。 目的は自粛で飛行機を見に来られない方のために、今の成田周辺のTOPICSやさくらの山現状、成田空港の最近の飛来機など写真を交えて私が配信します。 ライブ配信のYoutubeアドレスを設定完了後 12時ころにこのブログで告知しますので、お楽しみに! スタッフは全員ボランティアなので、多分配信うまくできると思いますが、多少の不手際や時間のずれなどご容赦ください。 協力:成田市、さくらの山管理企業組合 さて今日のネタ コレクションがほぼ完成しつつある(まだ買えないものもあり)自分が使っていたフィルムカメラコレクション ありがたいことに、先日は「F-1のスポーツファインダー」をくれた方がいて、貴重なものをお譲りくださりありがとうございます。 こんなのがあったとは知らなかった。当時は買えなかったF-1でスペシャル仕様にできます。 さらには、「ええもんあるのでプレゼント」と今度は取扱説明書を別の方にいただいた 貴重なものをありがとうございます。これがあるとないとでは違います。 あとはボディしかないカメラが複数あるのでフジヤカメラとかで50mmレンズのジャンクを数本買って来れば見栄えがするので、緊急事態宣言があけたら行ってみよう。 さて、今日のスキャンしたナナマル@さくらの山 コールサイン「タンゴリマ」レバノンから成田に定期で来ていた。このカラーリングがインパクト強すぎ 1989年や90年だとこのナナマルが最後の定期便であった。撮るには張り込む以外にない このベース空港であるレバノンのベイルートに2006年シリアのダマスカスからゴラン高原方面を遠くに見ながら陸路で抜けて、途中難民キャンプを見ながら行ったが、ベイルート空港で撮っているとマシンガンを持った兵士に注意されマシンガンを向けられ退散。 街も爆撃なのかミサイルのあとなのか、穴だらけの建物が残っていたことを記憶している。 オマケ:散歩コース、道路建設中だが前後はなにもないどころか谷もあり、完成は10年後とかだろうか

成田市さくらの山公園・公式ライブ配信告知

明日日曜日、13時より成田市さくらの山公園(閉鎖中)よりライブ配信を行います。 目的は自粛で飛行機を見に来られない方のために、今の成田周辺のTOPICSやさくらの山現状、成田空港の最近の飛来機など写真を交えて私が配信します。 ライブ配信のYoutubeアドレスを明日設定完了後にこのブログで告知しますので、お楽しみに! スタッフは全員ボランティアなので、多分配信うまくできると思いますが、多少の不手際や時間のずれなどご容赦ください。 協力:成田市、さくらの山管理企業組合 写真はイメージで、あえてDELTAの777を

Boeing727のFEさん

何度か前のブログでBoeing727にはFE(航空機関士)がいる話を書いたが、そういえば先輩で727のFEの方がいた。 その方は1980年代にアメリカの飛行学校でパイロットライセンスを取得、だが働くには今も昔も仕事ができるVISA、ワーキングパーミッションが必要で当然ないので困っていた。 だがある日、立ち往生している車のご婦人を助けたら、たまたま上院議員の奥さんで「お礼がしたいけど、できることがあるかしら?」となり速攻就労ビザがおりてFEDEXにFEとして就職というアメリカンドリームを果たされた、 今はリタイアして四国で犬と一緒に暮らされているが、そんなFE資格を持つ方もいて727の話を聞かせていただいたものだ 1994年LAX 1989年シカゴ 1998年GUAM 1996年ニューヨークラガーディア 同じくラガーディア、確かCABIN CREWで乗務で行った際に撮影 オマケ:昨日の散歩での出会い、危なく踏むところだったぜ

カラフルMEXICANA

ブラニフネタが以外とウケたので次はこれ、尾翼がカラフルな MEXICANA、さんざん撮影した。 今と違いフライトレーダーない時代だから、とにかく張り込むしかない。当然当たりもあればすでに撮影済(はずれもある) 色が違うだけではなく模様もすごい、これ90年代前半にステッカーがあったのか?マスキングして1機1機塗っていたのか? たぶんB727だけでも15-20種類くらい撮影したが、ドイツ人ならともかくラテン系で明るくテキトーなメキシコ人にこれが長続きするわけもなく、そのうち柄はやめた、さらには会社消滅となってしまった。 B727の後継機はA320になり、そのうちA320のポジスキャンを開始したら、同じネタ出しますのでお待ちください。 おまけ、昨日の散歩コース、田植えの季節ですね

007DELIVRED.

エージェントとしては日ごろの情報収集が欠かせないが、6時台に007が到着したという情報を入手(極秘情報提供のA氏ありがとう)、クリアランスデリバリーを聞いて右手にワルサーPPK、じゃなかったEOS90DにEF200-400mmを装着してスタンバイ 香港行だから成田のアジト(ここ)でターゲット捕獲ができる、というか朝の光だが展望デッキ閉鎖の今、光線悪いとか言っていられない 一応これでもLondonに行くと勝手に本部、日本流にいえば本省を見に行っている。 MI-6本部 マジでシークレットエージェントの本部なのでYour eyes only (他言無用)余計なことを言うと消されます。 なおうんちくのあるアストンは私が出入りする車屋さんにあるので、頼めばマシンガンとかつけてくれるのかもしれない、車好きの方なら下の車両の文章を見て楽しめるはず。 http://www.caesar.co.jp/collection/02aston-db7-black/01%20aston%20db7%20vorante.html そんで、本題、TAKE OFF、ん? お!そこに書いてあるわけね、007DELIVERED. SUPPLY DELIVERED. 007も公開延期になったが、007ファンとしては楽しみ~、 ロジスティックスはDHL、007のスポンサーになればOMEGAやアストンのようにイメージアップになるしね。

BRANIFFの思い出

皆さんリモートワークでお時間に余裕があるのか、メールなどで初めての方から多数連絡をいただき「懐かしい写真で飲みながら思わずメールしてしまいました」とかアメリカで学んだエンジニアの方とお知り合いになり、飛行機の技術がキャデラックに活かされている話とか興味深く教えていただいたり、なかなかエンジョイさせていただいている日々 さて本題 FDAフジドリームエアラインズができるかなり前にさまざまな色を塗ったエアラインがあり、今でもBRANIFF展があると日本でも若い女性などBRANIFFを知らない世代にも人気 初代は1920年代~82年、復活ブラニフが83年-90年、再度復活ブラニフが91-92年、私の年齢では下1989年LAXにて 復活ブラニフがなんとか撮れた世代 三度目のブラニフは1992年フォートローダーデール(フロリダ州) 1992年マイアミ、ね、FDAみたいに丸ごと1色でしょ。 ちなみにグレーの機体は二年後モハビで再会することになる。 本当は70年代の全盛期に撮りたかったけど、72年生まれなので年齢的に無理だった。

悲壮感がないとダメらしい

カメラメーカーの方と昨日お話というか雑談をしていたのだが、ジョークではあるが「古庄さん、仕事9割減とか言っても悲壮感ぜんぜんないじゃないですか、もう学校写真のカメラマンさんなんて学校ないしスポーツ活動ないし大変ですよ」 とのことで写真家業界も大変らしい「物撮りは仕事あるがお姉さん撮影も仕事減」まあ密になるしね・・・ 私の考えとしては、そもそも会社員ではないので定期収入ないし、In case腕を折った、足を折った、入院したという事態も想定済。昨年も石垣空港の山で「しまった、足折れたかも」という事態になったし(足をひねってくじいて多分ひび?」、蓄えはないがそういうハプニングで半年休業ということも想定内なので悲壮感はないが、仕事減をアピールするには悲壮感がないとダメらしい(笑) さて、スキャンした写真で見比べ 上は現在のターミナル3より、下は1989年だから旧ターミナルのRWY04上り 1989年は羽田空港のANAの孫請け会社でバイトをしていたので、この大看板とかが懐かしいぜ、京急の旧羽田空港駅(今の天空橋付近)から歩いてB滑走路をくぐり東急ホテルと警察署の間のケータリング会社まで土日通っていた。

今帰国すると

昔の仲間がFamily EmergencyでLAから緊急帰国する必要があり、入国してどうなるのか情報が錯そう中、先日LAからの到着の仲間のお嬢さんをMeet & Assistしたときは、ふつうに出てこれたので、どうなるのか?と思いスタンバイ 私が在籍していたCRYSTAL AIRというプライベートジェット運航会社の日本人スタッフ社訓は 「できるできない聞いていない、やれ!」 「お前の意見は聞いていない、とにかくやれ!」 という超ブラック企業で私も手下にそう言っていたので、未だに「奴隷部隊の隊長」と呼ばれていることもあり、 神戸在住の元同僚でヘリパイより「〇〇ちゃんが羽田着で困りそうなんや、ヘルプしてくれへんか」(〇〇ちゃんと言っても同僚時代は30代だと思うが今や彼女も60代、ご主人はアメリカ人でHONDAJETの設計にかかわっていたが、すでに日本語がおかしくらいアメリカナイズされている)という指令 そんで入国して公共交通機関には乗れないのでPCR検査終了後に迎えに行くようにしていたが、結局ホテルに移送され14日間缶詰め。 私はスタンバイだけで行く必要がなくなったが、Family Emergencyなのに二週間隔離も気の毒である。 さてタイトルとは関係ないがナナマルの写真の対比、1990年シドニー空港 上の撮影場所は消滅しているので同じ場所からではないが、かなり近い場所より撮影、ビルの数がぜんぜん違う、シドニーのタワーの対比でみれば一目瞭然 同じ四発機でもナナマルからサンハチマルに変わりました。