リモートオーダー

こんな状況下でも、海外ネタをいろいろ持っているので、新規発注(ちゃんとした会社のWEB連載とか)もなどあり、これまでなら 「わかりました、それでは来週火曜日に御社にお伺いいたします」と打ち合わせになったが、最近はZOOMなどもなしでメールのみで発注、やり取りが完了。(もちろんわけわからんオーダーや、怪しげな発注はウケない) これでちゃんと仕事になる時代なんですね。 つまり先日も担当者と顔を合わせないまま、編集プロダクション発注の大きな仕事が完結したし。 現在は別会社の別案件も、お会いしたことがない方とのお仕事。 もう、そういう時代なんですね~ ポジフィルム撮影、NEVADAのGAS STATION 上 FLORIDAのPARM BEACH(ポジの色だよね~) 下 MIAMIのアールデコの建物、 もちろん、こんなのは遊び撮影なので、オーダーは飛行機や空港がらみ。 貯金(写真とネタ)があって良かった~、少なくともIATAが想定している2024年航空業界復活まで耐えがたきを耐え、粘らないとさ。 そういえば、やり取りしている会社でポジフィルムにこだわる会社があったので、そのうちポジフィルムの旅スナップをデータ化でもするかな・・・ ポジ独特の空気感、色、味があるんだよね~、こればかりはデジタルでフィルム写真風にしてもダメ。

成田でも撮ってます。

まあ緊急事態宣言中なので、なるべく自粛(オーダー撮影は仕事なので、行かねばならない)だが、成田で、誰とも基本合わないなら撮影に出るし、成田はいろいろ来る 先週撮影のUNITED B767-300、香港行、 香港で整備するようだが、香港在住のエージェントによると、「貨物機改造ではなくコンフィギュレーション・チェンジ」つまり機内仕様を改装。もしくは貨物ドアはつけないけど、座席を外して貨物対応にするのか? いずれにしてもUNITEDのB767は息がながいぜ、同じレジを1995年に撮影していた。 下の写真から上になるまでこのほかに二種類ペイントが変わっている。 写真は雨上がりの朝、努力していくけど、イメージ通りの絵にはならず。 朝撮影を終えて、実家(オフィスと同じ敷地)に顔を出すと、「ふてにゃん」が目つき悪く、お出迎え。 元ノラで避妊手術をして、ノラに戻すはずが実家に居座っていて、ものすごく態度が悪い。少し近づこうものなら「シャーッ」と威嚇&パンチが飛ぶ!

エアラインで覚える国名

いろんなエアラインを撮影すると 「このエアラインってどこの国?」となり勉強になる。以前調べたけど、ポジスキャンでまた国名を思い出すというわけ BWIA British Western Indian Airwaysは トリニダード・トバゴ 撮影地はMIAMI AIR ARUBA はアルバ(国名)で2000年に倒産@MIAMI KTHY キプロス・トルコ航空、「北キプロス・トルコ共和国」だがトルコ以外から国家承認は受けておらず、ごたごたした地 KLMオランダ航空じゃなくて、「ALMオランダ領アンティル諸島航空」マイアミは美味しいぜ! DCA ダッチ・カリビアン・エアラインズ 「キュラソー」と大きく書くのは、オランダ領キュラソー島(カリブ)のエアライン。DC9シリーズだけでも、いろいろあるでしょ 1990年代のセントマーティン、ほぼ人がいない時代でした。 「エアラインで覚える地理」って本が書けそうだぜ(写真はある)まあ売れないだろうな・・・ ちなみに上の写真は全てポジスキャンですが、全エアラインがなくなっております。エアラインの世界は厳しいぜ! 「消えたエアライン」という本が昔あったけど、現代版、写真いろいろあるので作成できそうだけど、これも企画倒れだろうな~(笑

第一回目締め切り

2021年がはじまったばかりではあるが、もう「2022年のカレンダー第一案、今月中をめどにご用意ください」とのメールが つまり、あと少ししたら、頭の中は「2023年カレンダー」を考えながら撮らないといけない、つまり、退役しそうな機材や、空港にある「TOKYO2020」のロゴとかが入るとOUT!(2021でもOUTだが) そんで、その場所と季節が多少なりとも分かり、他社機が入らない、これまで使っていない絵、2023年に飛んでいる機体番号(推定)を頭にイメージ 撮影条件に制約ありありでしょ・・・つーか2023年って、まともに飛んでいるのか? IATAの試算ではエアラインの需要復活は2024年だぜ。 以前もカレンダーの表紙のメジャーエアラインが、印刷完成後に倒産。絵はいいんだけど、私は縁起とか気にしないけど、クライアント様はそうはいかないし「まずいですよ」となったこともあり。 というわけで、STAY HOMEで写真用意など、デスクワークを地味に行っております。 写真はポジスキャン ドブロブニクエアライン、今でこそ人気の観光地だが、当時はドブロブニク?なにそれ?って感じであった。 QANTAS LINKのB717、 ふつうの人にはどうでも良い(知らない)エアラインも、撮影者にとっては思い出がある。 TAESA(メキシコ)ってMD80入れたんだ!と当時感動していた。しかも塗りはオーストラリアのCOMPASSエアライン塗装、 だがTAESAにデリバリーされずにTWAへデリバリー、つまりデリバリーされない幻の塗装ってことでレアなんで美味しい! まあ今となってはCOMPASSもTAESAも知る人も減ったが、八街のK氏をはじめ、昔ながらのディープスポッターは反応するのはこういうの。 わけわからんエアラインばかりではなく、こちらもレアなこの塗りのLX MD80 日本じゃA340だったけど、機材が違えばイメージがかなり変わる。

こういうのがおもしろい

昔は、先進国が最新鋭機材を使い、古くなった機材は発展途上国へ、という流れが一般的であった。しかし、現在はいきなり発展途上国がA320とかB737とか、最新鋭機を導入することもあり ポジスキャンをしていると、そんな古い時代の発展途上国機が現れる 20年くらい前にシンガポールで撮影したMAI ミャンマー・エアウェイズ・インターナショナル ペイントの元をよく見ると、コンチネンタル航空(下はライトグレー、細い金帯) だが機体番号はPK(インドネシア)、運航会社はミャンマー 尾翼はMAIだが、ラダーはライオンエアを消した形跡あり、 つまり、このペイントの中にコンチネンタル航空、MAI、ライオンエアが入っているというわけ、こういうのがおもしろくて、スポッターはやめられない。 「乗りたいか?」と言われると、正直ビミョー・・・としか言えないが こちらも元コンチネンタル航空機だが、塗り替えられている。ちなみにこのシップもMAIにリースされたことがあり、 発展途上国の中小エアラインがド中古機を、別の発展途上国にリースする。おもしろいじゃんね。

データ化 半分弱か?

緊急事態宣言 なので、なるべくオフィスで仕事。まあ普段から一人撮影だし、別に誰とも飯食わないし・・・ いずれにしても、コツコツ、ポジスキャンを実施中。現在推定45%くらいはデータ化済、しかし一年かけて半分がデータ化 って、先は長いぜ。 基本CANONのスキャナーだが、MDシリーズなんかで尾翼がマウントギリギリだと切られてしまうので、ライトボックスを出してきて、マクロレンズで接写。 マクロは多分100mmが接写には理想的っぽいが、ウチにあるマクロは50mmしかないので、なんとか頑張る。 しかし、昔はライトボックスをかかえて、ポジを持ってクライアント様のところに打ち合わせに行ってたんだぜ。 MD80と90、中国北方航空@新潟 2000年の撮影 UNI AIR MD90@台北松山 B-88888 U-land MD80 台北松山、このあたりが分かる方はビョーキです(笑)

アエロフロート新塗装

私的通信 「K編集長、昨日電話でお話したのはこの塗りですよ、HNDに来ているA350、A330のシルバーがホワイトになり、マイナーチェンジしましたでしょ」 これがまた撮りづらいんですよ、セオリー通りなら北からの到着なのでC滑走路、しかし羽田アプローチを聞いていて、C滑走路予定なのでT2デッキに行くけど、最後にA滑走路に振り替えられることもあり。 事前情報では「これまで3回ともにC滑走路降りでした」という話だったが、この日はAに、まあ上がりは朝なので撮れなくもない。 しかし、昔のこの塗りから思えば5回?くらい変わったけど、斬新になりました。1980年代 さくらの山、鉄条網とバリケードが健在 上のB737はプラハで撮影、ちょっとあか抜けたころ 羽田の22番スポット(VIPスポット)に撮りに行ったのさ いい音していたんだよな~ アエロフロートの塗装遍歴を写真でたどってもおもしろいけど、ポジスキャンしないとな

PILOTは、はげる(かも)

フライトスクール時代の仲間と、このご時世なので飯には行けないので、電話で 「もう、局のチェック(航空局の審査)でストレスで頭薄くなったよ、だいたいさ、後ろ(オブザーバーシート)で(試験官が)ごちゃごちゃ言ってんだったら、オメーがここ(機長席)座ってやってみろってんだよ、エアライン操縦経験ないくせに」 「おまえ、それ絶対言っちゃいけないヤツだよ」 「言わないけど、全国のエアラインパイロットがそう思っているよ」 「とりあえず、育毛剤塗っとけよ」 「薬用のは、メディカル(航空身体検査)にひっかかるから、会社の医者に言わなきゃいけないので、使えないんだよ」 「だからA(S航空で機長の同じフライトスクールの仲間)はあきらめて、毛がなくなったんだよ」 そうか、薬用の育毛剤はダメじゃないけど、エアラインパイロットは医者の申請がいるからめんどくさいし、言いずらいのか、そりゃ禿るよな・・・ 私はおかげさまで、今現在髪の毛の心配はないのだが、フライトスクール同期のヤツでも、すでに髪の毛がないヤツもいて、 「最近のCAさんは背が高いので、後ろから頭を見られるので、困るそうな」・・・ 写真はポジスキャンの続き、1980年代のパリ・オルリー ミネルバのDC9-SUPER80 1996年JA8063 JASのMD90のデリバリー前のストア@IGM 勤めていた会社(LAのプライベートジェット運航会社)がチャーターして、インタープリターで乗務したグレートアメリカンのDC9、ノーズダウンで最終進入するんだな 1989年ロングビーチで飛行試験中のBIA、

まもなく締め切り

羽田空港フォトコンテスト  21日必着! なのでSTAY HOMEで今からプリントすれば間に合います。 https://tokyo-haneda.com/photo_contest/index.html 現在T2の右側(D滑走路側)で作品展示中 あれだけ羽田で撮影している人がいるのだから、作品ぜひ探してみてください。 今のT2側ANA国際線のあたりかな 2009年の国際線ターミナル 後ろD滑走路 建設中 という風に古い写真を出せるアーカイブ賞もあるし、スマホ賞のエントリーもあるよ。

機体で歳が分かる

業界のベテランの方と話すと、機種の話でだいたい年齢が分かる。 DC10とかL1011を知っていると50歳以上、CAさんでも「元JASです」とか言うと、失礼ながら若くはない・・・ 20代のころは、JALのベテランの方と話したり、LA時代の会社のボス(元JALパイロット)は「6B(DC6)が」とか「7C(DC7C)で飛んだときは」とか、輝かしい太平洋横断ストーリーとかを話してくれて、ワクワクしたものだが、 先日ここで撮影アテンドしてくれた方(定年雇用延長なので60歳オーバー)とじっくりお話させていただくと、その方は元JASで 「入社のころの機材ってなんですか?」 「DC9とか、YSとかA300の初期のヤツですね」 「B727はいなかったんですか?」 「B727はもういなかったですね(東亜国内時代)」 ん?あんまり古く感じないのは気のせいか? まあこちらは小中学生から羽田に通っていたが、60オーバーの方との年齢差は15くらい、 ってことはその方が勤務し始めたころには、私が羽田で撮影し初めているわけで、そりゃ機体に差はないな・・・ そう考えると、自分も歳をとったことを感じてしまう。 もう東亜国内航空を知る人も少ないんだろうな~ C-54(DC4) こういうのに乗っていたPILOT(元BOSS)の話はもう聞けないのかもしれない。 DC7、これで太平洋線飛んでいたんだぜ。ロマンがあります。