Travolta’s707

ジョン・トラボルタの707の写真を見せてほしいとのリクエストにこたえて、そのお話 毎年LAでプライベートジェット撮影の仕事があるが、この時の現場はLAX、ロサンゼルス国際空港。撮影終了後に 「ジョンの飛行機あるけど見ていくか?」とアメリカ人スタッフが言うが、ジョン?どっかの犬の名前みたいだな・・・まあいいや「YES PLEASE」と言って連れていかれると ジョンって、ジョン・トラボルタのことなのか!!! なおジョン・トラボルタは他にも機体を持っていて、C601チャレンジャーでブライトリングのCM撮影でモハビに飛ぶシーンがブライトリング公式動画である。 さらには家がまさにDREAM HOUSE、WEBとはいえ人の写真を使うわけにはいかないので、記事のリンクを https://www.aerotime.aero/aerotime.extra/22859-john-travoltas-house ナナマルかっこいいわ~ なお彼はQANTASのアンバサダーなので、QANTAS塗りが許されたわけ。 こういうのって良いよね~、日本もYS11動態運航とかしたいけど、厳しすぎてダメなんだよね。さらにはJALのDC8とかANAモヒカン727とか見たいじゃん。 おまけ:昨日夕方散歩中@成田根木名川、うっ・・・! アビアンカの787がアプローチしてんじゃん!!!I phoneで撮影。

あるときは客室乗務員

「客室乗務員やっていたという話ですが、どこの客室乗務員だったんですか?」と質問が来たのでお答するが、大きな会社ではない。 プライベートジェット会社で、CL601チャレンジャーで訓練を受けて、FAA Part135Worldwideというわりと立派な資格を持っているチャーター会社なので、自社機でまかなえないときは他社の機体をリース。 この会社 CRYSTAL AIR AVIATION(今はない)副社長が元JALのキャプテンで私を拾っていただいた。会社の前のNISSAN MAXIMAはカンパニーカーで私にあてがっていただいた車、左はCL601チャレンジャー、右のノーズはガルフストリーム その際にお客さんが日本人、CREWがアメリカ人だと言語の問題で安全上まずいのでインタープリター兼コーディネーター(手配調整はこちらが行っているため)で乗っていく客室乗務員。 CREWの時の写真、日付見ると1995年、一応女性スタッフは顔をボカシております。 この機体はB727かな? Cabin CREWで乗った機体はDC3,CV580、B727、B737、その他いろいろ、Miami AirやChampion Airなどチャーター会社にもCREWとして乗った。まあ一番強烈だったのはDC3でした。 もしかしたらDC3に乗った最後の日本人客室乗務員かもしれない。 なおコーパイデューティー(日本人客を乗せてグランドキャニオン行き)の際はいろんな機体を使用したが、メインはCessna421ゴールデンイーグルのコーパイで行く。ウチの会社の機体、与圧されてて速いしいいぜ。 ただしコーパイは15人乗りのバンでホテルをまわりお客さんの送迎もする。 本来1名Pilotだけど、日本もBE200とか高性能機はよく二人乗務しているからそんな感じ。 ただしオートパイロットがしょぼいので「人間オートパイロット」でコーパイが操縦(離着陸以外)現地でガイド、戻るとヘリコプターツアーのお客さんの送迎と何でも屋なのであった。なお当時、これの機長だった日本人Pilotの同僚の一人は今やAir JAPANでB767で飛んでいる。

自虐負け

ブログの読者様で秋田の売れっ子設計士の方が、「仕事少ないんで、得意のホイールのガリ傷修理ばかりやってて、設計士ではなくて、もはやガリ傷修理屋です」と自虐の連絡が来たり、自営業の皆さんは仕事減でも明るくやっているが、私も最近は「無職です」とか「ポジスキャン屋」を名乗っている(笑) ときどき仕事の電話で「お忙しいところ恐縮ですが・・・」とかかってくるが、仕事は暇だがポジスキャンは忙しい(笑) そんで、ある空港さんとの仕事の電話でこちらが「いや~大変ですよ仕事9割減ですからね~」と話していると 「古庄さん、ウチの空港全便欠航だから10割減だから(笑)」と言われ、自虐負けをしてしまった・・・ そんなんでポジ整理も順調に進み、何か書こうと思っていたが忘れた727たちを紹介、1990年シドニー オーストラリアン これがのちにカンタスと合併する。 まあJAL、JAS合併みたいなもん 1989年だと思う、LAX、ケータリング会社はマリオットがやっていたんだな・・ コンチネンタル・ミクロネシア航空勤務時代だから1998年頃のGUAM、本社屋上にて 1989年LAX ピードモント航空、貴重~!右下の翼が邪魔だがシロート10代の撮影なんでね・・・ なお少し前のUSエアの搭乗口には吸収したエアラインのロゴがありピードモントもある(右) 1993年ラスベガス 倒産ストア中のEASTREN航空 アリゾナ・ツーソンにてMEXICARGO、ハンガー?なのか 1993年LAX これは当たり、吸収したピープルエクスプレス塗りが残るコンチネンタル航空(多分こういうハイブリッド塗装が分かるツウは少ないだろう) 私はピープルエクスプレスを撮れなかった世代なのでね マイアミにてAA いい感じの機首上げ、カッコイイわ~@GUAM おまけ:散歩コース、のどかでしょ~、すいませんがちょっと土盛りに上がらせていただきます。そうしないと文字通りドロドロ

This week’s Topic

先週セントレアに来たアントノフ225の話題が最近出ているので、以前のカットを 2010年NRT、展望デッキより 2011年震災後の物資輸送で早朝NRT、誰も人がいない時代でした 2013年Baselにて、たまたまAN225がいたけど雨 そしてLATAMのChapter11 運航継続だしChapter11は景気が悪くなるとよくあることだから大丈夫でしょう。 成田はCARGOもピークは過ぎたようで、SFも最近は来なくなった。しかしUnitedやエアカナダ、アエロメヒコは毎日数便飛来中 それとThaiが787をリタイヤとの噂を聞いたが情報が不透明で出所を知っている方がいたら教えて、B787-8は全機そろえているけど、787-9がデリバリーされていたとは知らなかったぜ。まあどこかに売られても次のところで今後撮れるでしょう。

京都から西行の景色

セントレアにてアントノフ撮影ミッションがあり、別件の仕事もかかえておりAM7:00にセントレア出発、法定速度(だと思う)で京都へ新名神を走り、京都ヘリポートに到着後タービンヘリに飛び乗り次のミッション先へ まずテイクオフすると右手に京都競馬場が見える。ギャンブルしないので京都に競馬場があったとは知らなんだ 京阪の淀車庫 ここは桂川と宇治川にはさまれているエリア 左は新幹線、中央のマルーンはエレガントな阪急、右はJR, 地図で見ると山崎だが有名撮影地の山崎のカーブはここのことかな? 高槻の街並みを見ながら伊丹の空域を避けるために北よりのコースへ JR京都線 島本駅付近、このあたり地図で調べたら大阪府三島郡って、大阪に郡があるのね。 箕面とどろみJCT、中央の山は伊丹の北のさつき山 さつき山とその向こうの伊丹空港、 伊丹からの上りの機体が豆粒だけど見える。(写真中央やは左) 川西市、ここって住宅街の間を渓谷が流れていて素敵そうな街、 川の名前を調べると猪名川 ってことはITMの空港横の川の上流じゃん! 兵庫県三田市 駅名はウッディタウンというそうな、初めてこの辺り飛んだわ~ 神戸三田プレミアムアウトレット(中央奥) もう前面展望の良さは抜群、高度が違うから旅客機とは違う景色でしょ 続編もあります。

さくらの山は6月1日OPEN

いろいろ二転三転しているご時世なので今後変更の可能性もなきにしもあらずだが、さくらの山は6月1日朝から開けます。一応ギリギリでWEBなどで確認ください。 さくら館およびウチのSHOPは11時よりOPEN 3~5月の一年で最も稼ぎ時を失ったので、皆様さくら館寄ってね! 破産申請後も元気に来てるTG それではポジスキャンした往年のカットを数枚 2000年?だっけかな、この塗りけっこう好きだったんだけどな CANADIANも好きでした。この塗りかっこよかった~、そもそも日本に近年来ていたのはエアカナダじゃなくてカナディアンだしね そしてカナディアンはエアカナダに吸収合併されたのさ そんな南風のBESTポイントであるさくらの山、 誰もいないのはさびしいので、また賑わってほしい 6月1日以降お待ちしております。

セーバーライナー

ポジスキャンでNorth American Saberlinerをスキャン中 正直こんなのウケないし、DC3からプライベートジェット、エアラインまで昔からしつこく撮っている変態クラスのスポッターは日本で私と八街のK氏とあとは数えるほどしか知らないが、変なのを撮っているからこそ仕事につながる アメリカのビジネスジェットで初飛行は1958年って、やはり航空大国の底力か歴史が違うぜ。今から60年以上前にこんなの作っていたなんてさすが 客室窓が三角というかおにぎり型なのがファンシー コクピットの形状もレトロな感じ、 改めて調べたら主翼と尾翼はF-86セーバーの流用でちょっと変えたらしい 上1995年会社のハンガーにて、今見るとエンジン細いな~ 窓の数がいろいろ違い種類も複数あり約800機が製造された おまけ:散歩コース、なかなかローカルでしょ

ヘリ前面展望大阪

ユーロコプターEC130で八尾から京都ノーカット版  スマホではなく少なくともパソコンモニターで見ていただくと雰囲気が伝わります。 「おお~ウチの家、見えるやんけえ」という方もいるはず、途中あべのハルカスと大阪城に寄っているので、そこが見どころ。 本当は映像でも写真でも伝わらないので、コロナ終息後はヘリにご搭乗の上、ご自分の眼で見ていただきたい景色です。 上は伊丹のアプローチがあるので、高度制限あり合法の低空で飛ぶので旅客機とは違う景色でんがな。

年齢詐称疑惑

数日前にセントレアフォトコンテストの審査員ライブ配信が行われた、多分Youtubeのセントレアページで見られるはず 司会はセントレアの元管制官の田中氏(右上)他三人のフォトコンテスト審査員だが、私は1972生まれ、お二方の先輩は共に1958年生まれと一回り以上も年上である。 するとルーク・オザワ先輩より 「ブログ見ているけどさ、年齢詐称してんじゃないの?なんでそんなの撮ってんのって写真アップしてんじゃん」(笑)と言われたが、 高校時代からポジフィルム、というよりもスポッターはコダクローム64、通称KRでないとダメという世界的なスポッターの決まり(コダクローム25、通称KMでも良いがKMは感度25)なのでコダクロームを使用 「高校生でポジフィルムって金持ち」というコメントが入ったが、正直な話、貧乏自慢をするつもりはないが、下町ボロ団地住まい、親父は難病なので羽田空港のANA孫会社のバイトで写真代は稼いだし、幼いころから「ウチはお金ないから大学は行かせられないから」と言われ続け、アメリカに行く資金は自分で貯めたくらいなのでどう見ても金持ちとは縁遠い。 下(1990年撮影のショートスカイバン、アプローチが激遅い機体) まあ当時飛行機撮影している人はレアだったのと 当時撮影していた人のほとんどが足を洗い今は撮っていないから、あまり古い写真が残っていないので、今こんな写真をアップしていると、年齢詐称に思われるのかもしれない 1989年22番SPOT(VIPスポット)確か天皇陛下か皇太子のフライトなので日の丸が立っていた もうさVIP機が来るかの判断は新聞見て、今週何曜日にどこどこ国のだれだれ国王が来日 とか書いてあると情報収集に励む 1990年羽田、フェンス越し 22番スポット オーストラリア空軍 VIPが来ると立ち入り制限になるのでその前に撮るのがコツであった。(1990年) フィルムで夜景撮影は大変なんだぜ、何度失敗して多額の授業料を払ったことか、とりあえず露出はばらして撮影、ただしお金がかかるのさ もう22番スポット通いましたよ、行けないときは学校で授業中にエアバンドを聞いていたしさ

あまり文句を言わないで

航空雑誌は取材に行けないし、例えば「2020年日本乗り入れエアライン」とか言ったって、どこが本当に戻ってくるのか分からないし、私の毎年お仕事をさせていただいている「世界のエアライナーカレンダー」なんてとっくに入稿して、発売はこの秋、その間に倒産消滅するエアラインもあるかもしれない。 例えばAF A380は全機退役なのでこの写真はもう表舞台では使えない 別に私ではないが、空港のFacebookページとかでも新規撮影ができないから、ありネタをひねり出すしかないのに、どれだけストレスが溜まっているのか「気に入らない」とか「制限エリアの写真じゃないか」とか、展望デッキが閉鎖だから仕方ないでしょ。 なので担当者も必死こいてやっているので、そのあたりはご理解ください。 以下は撮影ポイントの話、例えばメキシコのティファナ、危険で邦人誘拐もあったし、デンジャラスなので最低でも男二人以上で現場にはいかないといけない ここがポイント こういうのが撮れるので、何度も足を運んでいた。後ろに小さく見える機体はアメリカ側の空港にアプローチする機体で、二つの空港の距離はわずかだが間には国境がある。 しかし日本人だからふらっと行けるが、トランプさんが壁を作ると言ったくらい不法に入る中南米の人も多く、ここは麻薬の巣窟でもあるので、生まれるところが違えばアメリカに気軽に入れないので、日本人ってだけで感謝です。